旅人たちの紡歌

眠りの白に導かれ | 番外編「遠き日に、白はいざなう」


 剣を打ち鳴らす音が、夕闇を遠く高く震わせる。
 音を響かせているのは、二人の少年だ。ふいにそのうちの一人が尻餅をつくと、間髪入れずにもう一人が鼻先に剣をつきつけた。
「勝負あったな、ウェルバーニア!」
「ちぇー」
 尻餅をついた少年――ウェルバーニアは、恨めしそうにもう一人を見上げた。勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「やっぱり強いな、フーリエスは」
「仕方ないよ。そもそも、軍に入るために剣の稽古をしてくれって頼んできたのは君じゃないか」
 勝利した少年――フーリエスは、腰に下げていた鞘に剣をおさめた。子供の稽古用に作られた切れ味の鈍い剣だ。
「今日はこのへんにするか」
「……」
 フーリエスの提案に、しかしウェルバーニアは肯定も否定も返さない。何か言いたげな表情をみせながらも、口をかたく結んだままぷいと顔を背ける。
「もう暗くなってきたし仕方ないだろ。母さんたちだって心配するし。……帰ろう」
 それだけ言うと、フーリエスは有無をいわさぬように背を向けて歩き出す。黒い背中が日暮れ前の最後の陽光に向かって小さくなっていくのを見送りながら、ウェルバーニアは唇をかんだ。
「なんだよ、すました顔しやがって。……最後かもしれないっていうのに」

 ここエレンシュラ国では、人がまれに備える特殊な力のことを魔力と呼んでいる。魔力は例外なく先天的なものであるが、どんな条件がそろえば魔力を保有する者が生まれるのかはまったくわかっていない。ただわかっていることは、魔力を保有しているかどうかは十歳に判明すること、身体の弱い子供ほど強力な魔力を保有する傾向があること、そして、その魔力が一般人に悪影響を及ぼすものであるということだ。
 一般人に悪影響を及ぼす以上、魔力保有者を野放しにしてはおけない。そのため十歳を迎えた子供は全員、国の中央機関へと召集され、魔力判定会議と呼ばれる会議にかけられる。魔力保有者でないと判断されれば即座に家に帰されるが、そうでない子供はそのまま専用の施設へと収容され、世間から隔絶される。家族や友人に別れの言葉を残すことすら許されず、だ。あまりに残酷な処遇だが、少数の特殊な人間のためにその他大多数が犠牲になってはならないのだ。
 隔絶された子供は魔力の扱いに特化した教育を施される。魔力の制御方法を身につけ、魔術と呼ばれる技を使えるよう訓練するのだ。やがて成長すれば魔術師として職に就く。それが、魔力保有者のとりうる唯一の進路だった。

 フーリエスの姿が視界から完全に消えると、ウェルバーニアはようやく腰をあげた。ぼろぼろになった剣が夕日を受けて鈍く光る。このままここにたたずんでいれば、時が歩みを止めてくれはしないだろうか。そんな馬鹿げた妄想が脳裏に浮かんだ。
 フーリエスは剣の扱いに優れている。だがそれと同時に、見過ごすことのできない決定的な特徴があった。彼は極端に身体が弱いのである。ウェルバーニアはその意味するところを理解していたからこそ、つとめて考えないようにして過ごしていた。
 だが、もうそんなわけにはいかない。今年十歳を迎えた彼らが受けるべき魔力判定会議の日は、翌日に控えていた。

「なんでだよ! どうして!」
 魔力判定会議で保有者ではないと判断されたウェルバーニアは、しかしすぐには家に帰らなかった。連行されていく集団の中に幼なじみの姿を見いだすと、一目散につかみかかった。
「こらっ、君、離れなさい!」
 引率の者が必死の形相でウェルバーニアを引きはがそうとする。ウェルバーニアの指はフーリエスの服をがっちりとつかんでいる。他の子供たちは呆気にとられたような表情で、みないっせいに二人へと視線を注いでいる。
「お前がいなくなったら、誰に剣を教えてもらえばいいんだよっ……!」
「ちょっと君、いい加減に」
「待ってください」
 ややもすれば乱闘になりかねない格好の二人に、冷静な声が割って入った。ウェルバーニアは手を離すと、荒らげた息を整えながら声の主を見やる。二人の視線が交差した。取り乱す幼なじみを見つめる瞳には、驚きも軽蔑も含まれていなかった。ただ困ったような微笑があるだけだ。
「そんな顔するなよ。わかってたことじゃないか」
 確かに、わかってはいた。だが納得できるかどうかは別だった。
 フーリエスがウェルバーニアの手をとった。柔らかい手のひらから伝わる体温が、身体の芯まで染み入る。感情をせきとめていた何かが決壊して、頬に生ぬるいものが伝っていった。自分を見つめるまなざしも、表情も、何も変わっちゃいない。なのに、明日からは自分の知らない場所で、知らない人間に囲まれて、別の道を歩んでいくのだ。
 フーリエスは握る手に一瞬だけ力をこめると、ゆっくりと手を離した。別れの儀式にはあまりにもあっけなかった。
 やがて一人取り残されると、ウェルバーニアは大声をあげて泣きわめいた。

 辺りは気味が悪くなるほど静まりかえっていた。目の前にそびえる仰々しい建物は、闇の中で来る者を拒絶するように高い石垣に囲まれている。そのたたずまいから受け取る底知れない冷たさに、ウェルバーニアは思わず身震いをした。自分の幼なじみが、大人になるまでこんなところに閉じこめられたままなのだと思うと、胸がしめつけられる。
 ここに来たからといって何ができるわけでもない。家では家族も待っている。だが、だからといってすごすご帰ることなど許せなかった。
 正面の扉はかたく閉ざされている。押しても引いてもびくりともしない。当然か、と肩を落としたものの、それでも引き返す気にはならなかった。どこか忍び込めそうな場所はないか。目を凝らしながら石垣に沿って歩き始める。何のためにこうしているのかなど、考えたところでどうでもよかった。ただ、こうしなければならない。それだけだった。
 歩くこと数分、曲がり角の向こうに木々が群生する地帯が現れた。その中に、石垣の中をのぞきこもうとしているかのように幹がねじれた木があった。まるで自分を石垣の向こうへ導いてくれるかのようなその幹を、ウェルバーニアはためらうことなくよじ登った。
 石垣を越えると広い庭のようなところだった。石垣に沿って草木が生い茂っている。すばやく身を潜めると、あたりをうかがった。ちょうど剣の稽古ができそうな広さの草地を隔てて、教育施設が建っている。
 あの中にフーリエスがいる。絶たれた望みが再びつなぎとめられるような感覚に、目頭が熱くなる。はやる心をおさえながら、物音をたてないよう建物の入り口を探った。生い茂る草木の中を、腹ばいに近い格好で進んでいく。
 ひたすら同じ石壁が続く建物の端に、扉のような黒い陰影が見えたときだった。自分のものとは異なる物音が背後から聞こえた。思わず両腕で頭を抱える。
「ウェルバーニア」
 降ってきたのは思いがけず聞き慣れた、そして聞き望んでいた声だった。がばりと身体を反転させる。月光に浮かび上がるフーリエスの姿は、なんだか妙に大きく見えた。
「な、なんで……」
「ぼくの魔力を見誤ったらだめだよ。君がどこにいるかなんて、ぼくには手に取るようにわかるんだから」
 呆れるでも怒るでもない冷静な口調は、ウェルバーニアのよく知る声だった。昨日までと、何も変わらない。それならば、なおさらフーリエスはここにいてはいけなかった。
「なぁ、一緒に帰ろう。帰って、またぼくに剣を教えてくれよ」
 静寂を震わせる声に、フーリエスがさっと左右を見渡した。
「ウェルバーニア」
 怒られたのだと思って、ばつが悪そうに肩をすくめる。しかしフーリエスはおもむろに目を伏せると、考え込むように眉間にしわをよせた。ややあって再び開かれた瞼の奥には、悲しげな色をたたえた瞳が月光を含んできらめいていた。
「自分の意志でどうにかなることなんて、ほとんどないんだよ」
 さあ、と生温い風が吹き抜ける。フーリエスは服をまさぐると、透明な板のようなものを取り出した。
「だからこそ、運命だろうと必然だろうと、この身に引き受けたものは、精一杯にまっとうしないといけないんだ」
 言われた言葉のほとんどが理解できなかった。ただ、フーリエスに帰る気はない。分かたれた道を嘆くことも、振り返ることもなく先へ進もうとしている。それだけは理解できた。
 フーリエスは取り出した板を目の前で掲げた。月光の欠片が反射して、自己の存在を主張する。
「何年後かわからないけれど、エレンシュラ軍で会おう。きみは軍人として、ぼくは魔術師として」
 突如、二人の周りが白い光に包まれる。あまりのまばゆさに目が焼かれそうだ。思わず瞼を閉じる。ふ、と身体が軽くなった気がした。
 再び目を開けたとき、ウェルバーニアは教育施設から遠く離れた、自宅の庭に一人ぽつんと立っていた。

 入隊式はあいにくの雨だった。
 真新しい制服はまだ身体になじんでおらず、知らず知らずのうちに挙動がぎこちなくなる。
 式を終えたウェルバーニアは、指示された場所へ向かうために長い廊下を渡っていた。長時間にわたった式に、着慣れない服。ただでさえ緊張していたのだ、心身ともに自覚できるほど疲労が溜まっている。全身が新鮮な空気を求めていた。近くにあった窓を開けると、思い切り息を吸い込む。風にのった霧雨が顔にあたって、ひんやりと気持ちいい。
 突然やってきたそれは、予感としか言いようがなかった。
 音をとらえたわけでも、気配を感じたわけでもなかった。ただ自分の中で突然生まれた何かに突き動かされて顔を横へ向けると、それはたちまち確信へと姿を変えた。
 廊下の向こうからゆっくりと歩いてくるその人物は、黒いローブを身につけ、フードを頭にかぶっていた。魔術師の正装だ。
 彼はウェルバーニアの目の前で立ち止まった。頭をおおうフードを外す。遠い昔に分かたれた道が、いま再び一つになる。何も、変わっちゃいない。フーリエスのまなざしはそう告げていた。
「お久しぶりです」
「……ああ。久しぶりだな」
 雨があがった。雲の切れ間から一筋の光が降り注いで、地上を明るく照らしていた。