旅人たちの紡歌

ちっこいといっしょ!~夏祭り編~

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 一人暮らしも四年目にさしかかった私の家に突如あらわれた謎の生命体。
 三人……いや、三匹? いまいち数え方のわからないそいつは、私の膝下ぐらいの背丈で、例えるなら漫画やアニメのデフォルメキャラのような姿をしている。
 奴らは自分の種族(というのだろうか?)のことを「ちっこい」と呼ぶ。
 ちっこいは毎日どこからともなくあらわれ、寝る頃になるといつの間にかいなくなっている。

 ちっこいは食べることと遊ぶことと寝ることに全力を注ぐ。
 帰宅してコンビニ袋から弁当を取り出した瞬間、ドドドドドという効果音とともにやってきて、
「おにく~」
「きょうのごはうはおにくでうか?」
「ちっこいもたべうでう~」
 と、割り箸を割ろうと力みかけた私の周りに群がる。
 仕方がないので分け与えると、
「もぐもぐ」
「うまう~!」
「うまう~!」
 などと心底おいしそうに喜ぶ。漫画にすれば、周囲に花柄のトーンでも舞っていそうだ。
 そして腹を満たすと、
「ねむくなってきたでう~」
「すやすやすうでう~」
 といって絨毯に転がりだす(もう一匹はすでに寝ている)。
 私はそっと毛布をかける。

 反面、ちっこいは難しいことはさっぱりである。
 資格試験の勉強でもしようと参考書を開くと、背後でチャンバラごっこをしていたちっこいが、
「おべんきょうでうか?」
「ちっこいもおべんきょうすうでう~!」
 と手元をのぞきこんでくる。
 正直邪魔ではあるが、純粋な好奇心を否定してはいけないと思い、じゃあ一緒にお勉強しようか、と参考書の内容を音読する。
 一ページ読み終えてふとちっこいの方を見ると、三匹とも同じ体勢で机に突っ伏して、気持ちよさそうな寝息をたてている。
 やれやれと思いつつ、そっと毛布をかける。

 ここまでのやりとりでわかる通り、ちっこいは独特の言語体系をもっている。
 特徴的なのは、語尾が「う」に変化することだ。「です」が「でう」に、「たべる」が「たべう」に、「ごはん」が「ごはう」なる。
 初めこそ戸惑ったものの、今となってはもうすっかり慣れてしまった。それどころか、うっかりと「ちっこい語」を口にしそうになる。
 職場の同僚に菓子を差し出され、
「食べる?」
 と訊かれたとき、
「たべう~」
 と答えてしまったときは、ごまかすために自分の全知能を総動員するはめになった。

 ある日曜日の昼下がり、何気なくインターネットを見ていた私は、近所で夏祭りが開催されることを知った。
「夏祭りかー」
 とつぶやくと、背後でチャンバラごっこをしていたちっこいが(たいていチャンバラごっこをしている)いっせいに群がってきて、
「おまつりでうか?」
「おまつりいきたいでう~!」
「わらびもちあるでうか?」
 と私をひっぱる(恐らくわらびもちはない)。
 ここで断れば、
「びえええええええええええええん」
 と、近所に聞こえれば通報されてもおかしくないような勢いで泣きわめくことは目に見えている(経験済みである)。
 予定もなく、誘う相手もいない私は財布をポケットに突っ込んで、花柄のトーンを散らすちっこいを連れて家を出た。

 ちっこいの存在は謎である。
 すれ違う人は誰もちっこいを気にとめないし、ちっこいと話す私のことを不審がる様子もない。
 要するにちっこいは私にだけ見えており、かといって私は外で独り言をぶつぶつつぶやいている変な人には見られていない、そんな都合のいい世界なのである。

「おまつりでう~!」
「ひとがいっぱいでう~!」
「たべものがたくさんあるでう~!」
 夏祭り会場につくと、ちっこいは歓声をあげた。砂利道の両端に屋台が並んでおり、それ以外のスペースには人がぎっしりと詰めこまれている。
 引き返そうかと思うほど辟易したが、目を輝かせるちっこいを前にしてそんなことはできない。
 はぐれないように注意すると、
「はいでう」
「わかりましう」
「しゅっぱつでう~!」
 と威勢のいい答えが返ってくる。

 私たちはとりあえず歩きだした。
 人波にもみくちゃにされながらも、祭りの雰囲気はいいものである。
 視線をあげれば藍色の空がある。もうすぐ花火の時間だ。
 私の脚にしがみついて人混みをかきわけていたちっこいが、ふいに屋台を指さして、
「りんごあめでう~!」
 と叫び、三匹そろって屋台の方へと駆けていった。
「あ、ちょっと!」
 はぐれるなって言ったのに、と舌打ちをしたい気分になりながら、私はちっこいを追いかける。
 ようやくりんご飴の屋台にたどりつくと、ちっこいは屋台の端っこに腰掛けて、りんご飴を食べていた(屋台のおじさんはちっこいの存在を認識できているようだ)。
「りんごあめうまう~!」
「うまう~!」
「うまう~!」
 そう言っているうちにぺろりと平らげてしまうと、りんご飴を突き刺していた棒を屋台のおじさんに返却しながら、
「おかわう~」
「おかわう~」
「おかわう~」
 とおかわりを催促した。
「マジかよ……」
 私は小声でつぶやきつつ屋台へと駆け寄り、すいませんすいませんと平謝りして代金を支払った。

 その後、チョコバナナ、ポテトフライ、綿飴、たこ焼き、お好み焼き、クレープ、焼きそばなど、食べ物系の屋台でおおむね同じことが繰り返された。道場破りならぬ、屋台破りにでもなった気持ちだ。
 いくらお祭り気分といえども、ひっきりなしに食べ続けることなど私には無理である。しかしちっこいは平気な顔で、次のターゲットを探している。
 大学生風の若い男グループとすれ違った。
「あ、唐揚げだってよ」
「唐揚げ食おうぜ」
 そう言って大学生グループは人混みに消えていく。
 すると、彼らの会話を耳ざとく聞きつけたちっこいは、
「からあげ~!」
「からあげたべうでう~!」
 と、大学生グループを追って走っていく。
 はいはいわかりましたよ、と思いながら私は人波の途切れるところまで歩いた。人の足元をすり抜けていけるちっこいとは違い、私は急に方向転換することはできないのだ。
 引き返して唐揚げ屋台のところまで来た。しかしちっこいの姿は見あたらなかった。
 おかしいなと思い、
「あの、ここに無銭飲食しにきたちっこいの来ませんでした?」
 と屋台のおじさんに訊いてみると、
「はっはっは、何を言ってるんだい姉ちゃん」
 と豪快に笑われた。
 相変わらずすごい人混みで、突っ立っていた私は隅に追いやられた。屋台の並ぶ道から一歩外れれば、木々の生い茂る暗い森が控えている。
 嫌な予感がじわりと広がった。
 道に迷ってしまったのかもしれない。あるいは、よからぬことを企む何者かによって連れ去られてしまったか。
 食べ物に囲まれて幸せそうにはしゃぐちっこいの表情が、恐怖にさらされてゆがんでいくさまが目に浮かんだ。
 私は森の中へと駆けだした。
 すぐ近くに楽しげな祭りの喧騒があるにもかかわらず、見えない壁によって隔てられたような気分だった。
 暴漢を見つけてしまったら、いったいどうすればいいのだろう? 非力な私で太刀打ちできるのだろうか? 警察を呼んだ方がいいのかもしれない。だが、警察はちっこいの存在がわかるのだろうか?
 いろいろなことが浮かんでは消えながら、思考を悪い方へと発展させていく。
 ちっこいがいなくなってしまったら、私はどうなるのだろうか? 毎日毎日食事をねだり、人の事情もお構いなしに騒ぎたて、イライラすることは数知れずあったが、総じて悪い日々ではなかった。
 それどころか、食事を求めにやってくることが、仕事で荒んだ私のひそかな楽しみになっていた。
 帰宅してからも特にすることがなく、翌日の仕事を思って戦々恐々する生活に逆戻りするなど考えたくもなかった。
 祭りの光と音が遠い。
 私は足を速めた。

「からあげうまう~!」
 ふと聞き慣れた声が聞こえて、足を止める。
「もっとくださいう」
「たくさんくださいう」
 声のする方へ向かうと、屋台のそばに腰掛けてせわしなく口を動かしているちっこいの姿があった。
 想像していたような憂き目にあった様子は微塵もなく、唐揚げに囲まれて至福の時間を過ごしている。
 なんてことはない、唐揚げの屋台は他にもあったのだ。
 ほっと胸をなで下ろす。
 人の心配も知らずに唐揚げに夢中になっているちっこいのことを、しかし怒る気にはならなかった。
 全身から力が抜け、へたり込みそうになっていると、
「ずいぶんたくさん食べれるんだねえ」
 屋台のおじさんがニコニコしながら言った。
 ちっこいの周りには、空になった唐揚げの容器がずらりと積み上げられている。
 先ほどとは別の嫌な予感がした。
 ちっこいの食べっぷりをニコニコと見守る屋台のおじさんにおそるおそる近づき、いったいいくつ食べたのかを訊いた。
 屋台なのだからそんなに厳格な管理をしていないのではないか、というなまぬるい当ては外れ、正の字がたくさん書かれた紙をしげしげと眺めたあと、屋台のおじさんは金額を告げた。
 私は絶望的な気分になった。
「からあげうまう~!」
 ちっこいははしゃぎ続けている。
 私は泣きたいのを必死にこらえながら代金を支払った。
 財布がすっかり空になってしまったのは言うまでもない。


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