旅人たちの紡歌

あの日の級友たち

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 惨めだ。

 初夏の葉の緑は鮮やかで目に染みるはずなのに、私の視界は灰色のみ。集会が早めに終わり、学年主任の「あとは自由にしてください」という言葉を聞いた瞬間、みんな椅子から立ち上がって友達同士集まって騒ぎ出す。私はただ前の誰も座っていない椅子の背もたれに腕をのせ、せめて独りを何とも思っていないように見せるために眠そうな仕草をする。教室へ帰るまでの十分は永遠のよう。蝉の声でいくらか消されはするが、それでも体育館に響くみんなの笑い声が私を傷付けてゆく。

「ずっと寝てたね」
 教室に戻ってから、隣の席の麻奈がしらじらしく話しかけてきた。
「昨日四時間しか寝てなくて」
 とっさに嘘が出る。麻奈は移動教室のときや体育の着替のときなどにとりあえず一緒に行動してくれる子だ。
「ふーん。……あ、夕紀ちゃん、この前さ……」
 麻奈は待ってましたと言わんばかりに、自分の友達を見付けるとすぐに飛込んでいった。
 いつもそう。
 私と話していても、たとえ話が途中であっても、友達を見付けるとすぐに彼らの方へ行く。私だけが輪から外れて独りで一生懸命にノートに何か書くふりをしてやり過ごす。幸い、休み時間は男子は外へ遊びにいっているのでほとんどいない。輪から外れているのを男子に気付かれるなんてたまったものじゃない。
 輪の中ではきゃあきゃあと色々な話が飛び交う。昨日のドラマどうだった、サッカー部の誰々に彼女ができた、……延々と笑い声は続く。輪の中に沈黙は存在しなかった。

 ふと気付いた。誰かが私の名前を呼んでる。
「初瀬さん、早く机移動させて」
 月に一度のみんなの楽しみ、席替えだ。多数決で、好きな子同士で座ることになった。私のクラスは男子も女子も奇数だから、誰かが男女で座らなければならない。いつもその嫌な役が私に回ってくることは火を見るより明らかだった。他の女子は私など全く気にとめずにまた輪をつくる。私は教室の真ん中の新しい席に机を移動させ、暇潰しのために事前に用意してきた問題集をおもむろに広げて鉛筆を動かし始める。運悪く、教室の真ん中に独りでいると結構目立ってしまう。次第に頭で考えることにも嫌気がさして、笑い声からも遠ざかりたくなって、眠りに落ちた。

 「ねえ……授業始まるよ。先生来るよ」
 隣の席の菱田が私を揺さぶり起こした。半ば強引に。私は眠い目を半開きにしたが、伏せた体勢は戻さなかった。肩がこってきて、体を起こしたときの顔はきっと凄まじく不気味だっただろう。次の授業は何だっけ、と時間割を見た。社会だ。
「経済の仕組みについて調べ学習を行うので適当なグループをつくってください」
 私の最も嫌いな言葉を先生が発した。机のところできょろきょろしながらグループができていくのをただ見ているだけ。みんなの視線が痛い、と言いたいところだが私には誰も気をとめない。そのかわり先生の視線は背中に痛い程感じる。
 グループが嫌いなわけではない。ただ入っていく勇気が無いだけ。
「誰か初瀬さん入れてやりなよー」
 先生がみんなに向かって言う。それは言わないでほしかった。きっとみんな聞いて笑ってる。私が独りなのを改めて大勢の前でさらされているようだった。
「彩加、うちのとこ入りなよ」
 麻奈が親切に誘ってくれた。いかにもという風に満面の笑顔で私を見る。だけど私がグループへ入った途端、麻奈はまた他の友達と話し出す。私は視界に入っていないようだ。輪の中に身を隠しても、そこでも独り。それでもグループから外れて、彼等をじっと見つめてるよりは、こっちの方がいいのかもしれない。
 とりあえず、配られた資料を手に取って読む。皮肉なことに、文章が短くてすぐに読み終わってしまう。何度も読み返す。早く卒業したい。切に思った。あと数ヶ月乗り切れば、卒業だ。でも、教室へ戻るまでの十分さえ永遠に感じられるのに、あと何ヶ月も耐えられるだろうか。
 授業終わりまで残り少なくなって、やっと席に戻れという指示が出た。

 苦い思い出が蘇る。小学校のときのことだ。お別れ会でグループ単位の出し物をすることになった。好きな子同士でグループが組まれていく中で、私は何処へ入ればいいのか迷っていた。
「彩加ちゃん、こっちこっち」
 昔の親友が手招きした。私は笑ってそっちへ向かう。そして私は聞いてしまった。
 数人が「彩加ちゃん入れるのー?」と不満そうに話し合っているのを。それで関係を悪くしてしまうのが嫌だったから、聞こえないふりをした。
 あの頃からだ、輪に入っていくのに恐怖を感じるようになったのは。裏で私を嫌っている人がいる。表面の言葉や態度が信用できなくなった。卒業しても中学校が同じ。せめて違う小学校から来た子に弱味は見せたくなくて努力したけど、無理だった。同じ行き先の切符を持った人同士かたまって電車に乗って違う世界へ行ってしまう。私だけが切符を手に入れられなくて、改札口でつっ立っているだけ。

 菱田という男は世話焼きな奴らしい。いつも独りでいるのを可哀想に思ってるのか、真相はわからないが、休み時間などに私に色々話しかけてくる。私にははた迷惑な話だ。男子に同情されてたまるか、という感じだ。テストの点数を見る限りでは、成績はいいようだ。それにいつもクラスを仕切っている。まさに優等生という言葉がよく似合う。
「ねえ。初瀬さんていつも一人でいるよね」
「……どうでもいいでしょう」
「なんか見てて痛々しいんだよね。誰かグループに入れてやれなんて先生から言われたらきついって」
 男子にはとっくの昔に気付かれていた。まぁ、当然だろう。それにしても、人が気にしていることがわからないのだろうか。誰でも、友達がいないのは触れられたくないことのはずだ。
「それ、禁句」
「ごめん。だって中野麻奈とかと仲良いのに一人を選んでるみたいに見えるから」
 概ね当たっているかもしれない。だけどそんなことを言っても、結局麻奈だって私よりは違う友達が大切なんだから。麻奈と仲良くしようとしたって無駄なんだから。
「俺、人の悩み聞くの得意だからいつでも相談来いよ。……聞くだけ、だけどな」
 いつの間にか、菱田とは普通に、何の気兼もなく話せるようになっていたけど、結局は私を気の毒に思って話してくれるだけのことで、いざというときに頼れるわけではない。
 それに、人気者の菱田と仲良くなることは、段々と女子に嫌悪の情を抱かせるようになっていた。

 いつもの集会。今日もまた時間があまり、いつものようにみんなの笑い声が私の耳に響いて痛い。いつものように寝る体勢をと思ったが、体勢をつくるのも面倒で何と無く単語帳を見ていた。いつものように教室に戻り、先生が来るまでの時間は菱田と会話をする。
「テスト勉強やってる? いつも一人で単語帳見てるけど」
 禁句を再び出された。
「禁句だって」
 前を向きながら不機嫌そうに吐き捨てた。
「そんなに言うなら誰かの仲間になったらいいじゃない」
 だって――言い訳の言葉は出かかったが、菱田は席を立ってどこかへ行ってしまった。
 菱田は分かっていないんだ。友人とのコミュニケーションが簡単な男子だからそんなことも軽々しく言えるのだろう。女子の裏表は想像以上に恐いんだから。
 だけど、去っていく菱田の後ろ姿を見ながら、何か胸に熱い感情が沸き上がるのを感じた。こんなにも長く私と会話に付き合ってくれる人がいるなんて知らなかった。けど、菱田と会話をすればするほど、女子は遠ざかっていく。唯一の話し相手を失いたくない、だからといってみんなとの距離が大きくなるのも惨め。これ以上離れたら、きっともう追い付かなくなる。
 二つの思いにおされ、熱い感情はどこかに消え失せていた。

 暑い中で一学期の終業式が行われた。通知表をもらったときのクラスメイトのリアクションはいつもと変わらない。見え透いた演技。私は開きもせずに、さっさと片付けて家に帰った。笑い声ばかりの世界は場違いのようでいるのが辛い。
 親には心配させたくなくて、玄関の扉を開けたら、満面の笑顔で「ただいま」。きっとみんなは暑い教室で下敷をうちわがわりにしながら、夏休みの予定を立てているのだろう。
 私は帰るなり部屋に直行した。幸い、親は用事がない限り部屋には来ないし、学校でのこともあまり聞かない。気を何とか紛らわせようと、配られた夏休みの宿題をどんどん片付けていく。
 夏休みは、辛い学校へ行かなくていい。だけどその休みの間、麻奈と他の友達はどこかへ出掛けたりして交流は深まるばかり。私はますますグループから離れていく。誰にも会わなくて嬉しいはずなのに、憂鬱だ。毎日の生活は、黒か灰色。他のクラスメイトたちが色取り取りの生活を送っているだろうことは手に取るようにわかる。きっと始業式の日には、充実した夏休みを送りましたと言わんばかりの顔を私に見せる。

 夏休みの終盤、あまりの暇に耐えられなくて図書館へ行った。館内は静かで、沈黙を否定されない。むしろ騒がしい笑い声の居場所ではない。心地良い。ひんやりとした空気を満喫していたら、不意に肩を叩かれた。
「彩加じゃん。久しぶりだね。そういえば彩加、うちらと一緒に遊んでないし」
 麻奈だ。場違いのような化粧と服装で身を包んでいる。
 何を今更、と言いたいのを我慢して普通に答えた。
「受験生だし」
「彩加、頭いいからそんな詰め込む必要ないじゃん。それより明日みんなでプール行くんだけど、来ない?」
「遠慮しとく。じゃあ私帰るね」
 違う。言いたいのはそんなことじゃない。だけど他に伝えるべき言葉は見つからない。麻奈の誘いは本当の好意をもっての誘いなのだろうか。もしそうでも、クラスメイトが恐い。集団の中にいても、いつの間にかはぐれてしまいそうで恐い。
 そう思ううちに段々、集団なんてバカらしいという気分になってきた。勿論一時の気分だけど、全てが投遣りで、家に着くなりすぐにベッドへ直行。眠れば全部忘れられる。夢から覚めて、また辛い現実が待っていたとしてもいい。眠りに落ちている間だけ、逃げられるのなら。

 まだ暑い中、始業式が行われた。二学期は地獄のような行事で埋め尽されている、友達さえいれば楽しめるような。
「有り得ないよな、この暑さ」
 今まで男子と話していた菱田が私の方を向いて言った。
「別に」
「何だよ。それより友達はできたか?」
「何でそういうこと聞くの」
 友達ができたかなんて同い年の男子に聞かれるなんてあまりにも情けない。
「友達とかについて触れないでよ」
「……でも嫌なんでしょ? 独りぼっち。友達欲しいんじゃないの?」
 嫌味とも思えてきた。この男はどんな理由で私に構っているのだろうか。悪意をもって失礼な言葉を連発しているのだろうか。
「失礼だよ」
「何も行動起こさないで文句言うのは単なるわがまま」
「うるさい。そこまで構ってもらう筋合いはない」
「とか言って、ほんとは嬉しいんだろ?」
 悪戯っぽい笑顔で、明らかに私を弄んでいる。菱田の言うことにも一理ある。だけど私はわがままなんかじゃない。私が悪いんじゃない。
 私はいつの間にかこの男に本音を吐けるようになった。それは嬉しいことでもあるが、同時に不安は募る。なぜなら、それでまた一歩、また一歩と女子から離れていくから。
「あんまり菱田と仲良くしない方がいいよ」と麻奈から忠告を受けたのは夏休みだった。どういう意味かはわからないが少なくとも忠告を無視すれば、悲劇が待っていることはわかっている。唯一の話し相手を失いたくないのだ。そう、それが男子だというだけ、それだけで。菱田が女子なら、私も悩む必要は無かった。

「ちょっと彩加ちゃん、来て」
 突然クラスメイトの藤野めぐみに呼び出され、廊下に連れ出された。
「何」
「あのさ、菱田くんとあんまり喋らないでくれる?」
「何で」
「好きだから」
 あまりにも不条理だ。わがままだ。少なくとも、恋愛の経験が無い私にとっては、唯一の話し相手をそんな些細な理由で失うことは許せない。好きなら、私なんて気にせずに自分からアピールすればいいじゃないか。だけど嫌われるのが嫌で、首を縦に振った。
「ほんと? よかったー。あたし彩加ちゃんと菱田くんが両想いなんじゃないかとか思ってたー」
 さぞ嬉しそうに言う。それは有り得ない。明日からまた独りか、と思いながら教室に戻る。菱田は相変わらず明るい。教室に響く笑い声も変わらない。私だけがたった一つだった支えを無くして明日からの生活に怯えるんだ。菱田はただ普通の男友達と話すように私とも話しているんだろう。だけど私にとって菱田は大事な存在になっていた。
「あ、ねえ、藤野と何喋ったの?」
 菱田は何も知らないように聞いてくる。途端に私は彼女との約束がバカらしくなった。わがままなのは私じゃない。わがままを言ってるのは藤野なんだから。私は今までどおり答えた。
「別に……たいしたことじゃないよ」
 藤野はじっとこっちを見てる。嫌われるのが嫌だなんてもう思わなかった。喋りもしない人たちに嫌われるより、大事な話し相手の菱田に冷たい態度をとって嫌われてしまう方が遥かに嫌だ。
 次第に藤野やその友達は私にさりげなく嫌がらせのような態度をとるようになった。でも私は一向に菱田との話をやめない。

「ねえ……めぐみちゃんが、彩加が菱田と話すのが嫌だって」
 久しぶりに麻奈から電話がかかってきたと思ったら、その話だった。
「ふーん。でも私は菱田と喋るの楽しいよ」
「あんまり自己中になんない方がいいよ。好きな人が他の女子と話してるのを見るのは辛いんだよ。わかるでしょ」
 諭すように言う。
 私のどこが「自己中」だっていうの。いつでも我慢してきたじゃない。あなたたちが私を拒否するから、独りでいることに我慢してきた。それを救ってくれたのは菱田だ。藤野の身勝手な理由で、私の唯一の救いを奪われるなんて理不尽だ。
「用それだけなら切るね。私は菱田と喋るの、やめるつもりはないよ」
 返事を待たずに切った。辛い。いつも誰かのわがままの犠牲にならなきゃいけない。私の言い分なんて聞かずに、一方的な約束で。

「おはよう」
 藤野が話しかけてきた。威圧するような態度。あたしに逆らうと後が恐いわよ、という藤野の心の声が聞こえてくる。
「おはよ」
 そっけなく答えて、足早に教室へ向かった。
 もうすぐ体育祭も文化祭もあるのに、このままでうまくやっていけるのか。独りの私を想像するのは簡単。生徒が大声をはりあげて応援しているのを横目に、ただ膝を抱えてるだけ。本当は私だってみんなと同化したい。私は独りぼっちを望まない。私だって本当はみんなと仲良くしたいのに、だけど……。
 ……だけど? その次にどんな言葉が続けられるというのだろうか。
『そんなに言うなら誰かの仲間になったらいいじゃない』――突然、菱田の言葉が甦る。私は仲間をつくるために何かしてきたといえるのだろうか。
『何も行動起こさないで文句言うのは単なるわがまま』――。
 なんて矛盾した私。同化を望む癖に、それを拒む私。皆が私を拒否していたんじゃない。私が皆を拒否していた。
 友達を作る努力をしないどころか遠ざけていた私が、やっぱり一番わがままだったのかもしれない。


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