旅人たちの紡歌

晴嵐の少年少女!晴嵐の盟約編 | 第1章-06


 星明かりにぼんやり照らし出された外の景色から顔をそむけると、航は再び部屋の中に視線を巡らせた。平坦な灰色をした床の一角に散らばる、ところどころに色のついた包み。隼斗たちが食料だと言ったそれらに、航はよろよろと近づいていった。ビニールだろうか、中身が透けて見える。航はそのうちの一つを手に取り、しげしげと見回すと眉をひそめた。確かに、中に入っている物体はパンのようだった。包装にも「たっぷりつぶあんパン」と、縁取りされた白い文字がでかでかと主張している。
「何、それ」
 愛の訝るような声に顔を上げる。つかつかと歩み寄ってきた愛は「ソーセージパン」の文字がポップに踊る包みを取りあげると、航とまったく同じ反応を示した。こんな風に包装されたパンなど見たことがない。これも大人の世界特有の文化なのだろうか。
「食えんのかな」
 隼斗たちは航を廃棄するつもりはなさそうだった。とすると、少なくとも彼らにとっては何の変哲もない食べ物なのだろう。問題は、このパンを航の身体が受けつけるかどうかだ。航は再び包みへと視線を落とす。
「ま、食ってみりゃわかるか」
 ビニールに爪を突き立てて、包装を破る。途端に香ばしい匂いが立ちこめて、航の鼻を刺激した。そういえば、地区総代選挙を見に行く前に昼食をとって以降、何も腹に入れていないのだ。ぎゅる、と胃のあたりが苦しげな音を立てる。その瞬間、食べられるかどうかなど二の次になった。手のひらよりも一回り大きいそれを、航は吸いつくように頬張った。愛は青い瞳をちらちらと揺らしながら、航の様子を見守っている。
「……なかなか、いけるぞこれ」
 四回ほどかじりついて、手の中にあったパンはすべて航の胃へと落ちていった。普段、食事サーバーから提供されるパンと比べても遜色ない。航は不安げに眉根を寄せている愛の手元を指さして、自分に続くよう示す。
「ねぇ、本当に食べて大丈夫なの? それ」
「今んとこ腹具合に変わりはないぞ。ていうか普通にうまい。愛も食ってみろよ、それ。お腹空いてるだろ?」
 もごもごとパンを咀嚼しながら熱心に勧める。なんだか隼斗たちの味方をしているようで癪ではあったが、空腹を満たしてくれた礼としてそれくらいは許してやろうという気分だった。愛はそれでもなお、航の全身をなめ回すように観察している。
「……本当になんともない? もしかしたら時間差攻撃がくるかも」
「疑いすぎだし、だいいち俺はお前の毒味係じゃないっての!」
 用心深いと評価すべきか心配性だと呆れるべきか、ともかく愛は不安そうに瞳を揺らすばかりで、他に何をする素振りも見せない。航はそんな愛の手のひらから強引にパンを奪い取ると、包装を破った。女の子をいじめる趣味なんてほんとにほんとにないんだけどな、と自分に言い聞かせるように前置きすると、愛の口にパンを押し込んだ。
「ほら、食え。大丈夫、奴らは俺たちを廃棄するつもりはないよ」
 その代わり、廃棄よりももっとおぞましいことをされるのかもしれないという可能性は、頭に思い描いただけで声にはしなかった。いたずらに恐がらせることはない。そんなことをされる前にここを脱出すればいいだけなのだから。
 愛は涙目になりながらも、まんざら拒絶するような代物ではないと分かったのか、一口、また一口とパンを飲み込んでいく。その様子に、航はひとまず安堵のため息をもらした。
 ――地区総代、雲雀侑利が仕事を開始するのは、遅くとも明日の朝。遠視によるパトロールで見つけてくれさえすれば、きっとなんとかなる。なんとかしてくれるはずだ。
 今はそれを祈るより他になかった。